受験屋本舗さかた塾

2017年度尾道新規開校・東京大学現役合格講師による直接対面授業の難関大学専門塾

【連絡】7/16から授業を再開します。

 
7/16(月)より、通常通りに授業を再開いたします。
 
生徒の皆さん、保護者の方々、ご迷惑ご心配をおかけいたしました。
 
 
ひとまず天応の作業に一区切りをつけ、尾道に戻りました。
 

どこから手をつけたものか分からない状態で、うちを含め高齢の方も多く大変な状態でしたが、様々な方のご支援で、作業を進めることができました。実家の両親を残し、多くの方が未だ作業をされている中、離れるのは心苦しいですが、こちらでの生活を元通りにしていくのも必要なことかと思っています。休みにまた呉に戻りつつ、復旧を目指そうと思います。


天応は現在、水道が復旧し、国道も開通し、物資も届き始めています。(食事も市民センターに届き、昨日はパン、今日はココイチのカレーやうどんなどがたくさん届いていました。)


冠水や家屋倒壊、残留し固着ないしヘドロ化していく土砂、錯綜する情報などまだまだ問題は山積みです。一昨日は復旧活動の最中に緊急の避難指示が出るなどまだまだ安心できません。


より被害が甚大なエリアもあります。いまだ物資や人的支援が不十分な地域も多くあります。

うちはそれでもまだ家屋は残っていて(使える状態にするまでかなりかかりそうですが)、家族も健在です。尾道に帰る場所と仕事があり、心配してくださる方もたくさんいて、兄弟も父の友人も僕の友人も助けに来てくれました。


まずは実家からですが、引き続き故郷に手助けできることをして行こうと思っています。

 

ご心配をおかけしました。またご協力いただきありがとうございました。
まだまだ猛暑や断水が続いています。どうかお体に気をつけて、一日でも早くなんの心配も不安もなく笑える日が来ますように。

 

肩くむとね、ひとりで立ってるより、ちょっとらくになるんだよ。やってみようよ

 

あこがれ

あこがれ

 

 川上未映子の最高傑作in俺、『あこがれ』。川上未映子はなんでも全部いいんだけれど、『あこがれ』は別格。隅から隅まで最高だ。もうトッポ。小説界のトッポ。その点トッポってすげぇよな、最後までチョコたっぷりだもん。

 

今年の7月頭?6月末?に文庫化されるので、夏休みの読書にぜひ!ですよ。

あまりにもいいものはとりあえず思いついた人に送りつける、という病気をたまに発症するのですが、これも何人かに送りつけた記憶がありますね。ちょういい。

 

いわゆる純文学よりといえば純文学よりのものなので、物語上の起伏うんぬんがすごくてページをめくる手が止まらないぜ!みたいなのではないんですが、なかなか文学ってどう楽しめばいいのかっていうのはわかんないですよね。僕もよくわかんないですけど。物語のアップダウンが激しくある、というものもそれはそれで面白いですし、決して文学の方が偉いなんてこともなく、てゆうかそもそもそうした二項対立的なものですらないわけですが、楽しめる文字を増やしておくと楽しめる文字が増えますからいいですよね、活字中毒的には。とにかく文字を読んでおきたいですものね。

なんとなく今感じている一面としては、その文章を自分が書けるのかどうかを考えてみると面白く読めるんじゃないかなぁ、と思っていて。例えば、一つのセンテンスの描写の仕方、順序。どのようなところにフォーカスし、どのように描写を進めていくのか。同じ場面を自分だったらどう書くか、それを考えてみると、マジかこんな風に書いていくのか、みたいな驚きが出てきたり、その手腕にほれぼれすること間違いなしで、僕の中の描写王は柴崎友香なんですが、その切り取り方や提示の仕方に感服したりするわけです。単語と単語のつなぎ方、外面と内面の分配、時系列の進み方、情報提示の手腕、そして、どれだけの飛距離を有しているか。絶対にこんな風には書けないという文字のアクロバットを見る感じで、ひゅー!!!ってなる。

普通に読むと物語の展開を追うだけになってしまいがちだし、それはそれで重ねて良いのだけれど、自分で書くならどうなるかを考えると文学は超楽しい。まぁつまんないのを文学という風潮もあるかもしれないけれどそれはそれ。つまんないのもそれはそれで面白い。どんなものでも文字として残されたものは基本的に尊いですよね。もっと自由にたのしもうぜ、という気持ちがあります。

なかでもこの『あこがれ』はそうした超絶技巧が丁寧に潜伏していて、一見すると普通の少年少女の物語、ボーイミーツガールのビルドゥングスロマンに見えるのだけれど、その実、一文一文の尖りまくっていることといったらない。決して書けない。

 

冒頭からとんがっている。前編『ミス・アイスサンドイッチ』から。

 フロリダまでは213。丁寧までは320。教会薬は380で、チョコ・スキップまでは415。四十代まで430。野菜ブーツはいつでも500。512は雨のお墓で、夕方、女の子がいつもたまってる大猫ベンチは607。

 話しかけられると数がわからなくなってしまうから、ぼくはいつもうつむいて、できるだけ誰とも目をあわさないように、白い線のうえを歩いてゆく。ときどきひび割れてときどきとぎれる線のうえを、規則正しく、かくじつに、ぼくはスニーカーの靴底をぴったりつけてリズムをふんで歩いてゆく。

 これ主人公の麦くんの心の中の文章で、歩数と場所を結びつけているんですけど、それだけでどういう少年なのかがわかって、確実という言葉がひらかれているのも、「ぴったりつけてリズムをふんで歩いて」いるのも純朴で生真面目な麦くんの性格をよく表しているところで、「ときどきひび割れてときどきとぎれる線」にまで描写があることで、白線を注意深く見ている麦くんの思考・目線に否応なく同調してしまう。

なんだこれは!という目を引く文と、なるほど納得だ、というところまでの距離と、それを読まされている間に麦くんの性格が脳に自然とインストールされてしまう。そんな麦くんがスーパーのサンドイッチ売り場にいる「ミス・アイスサンドイッチ」に淡い恋をするお話。

さいこう。 

後編が『苺ジャムから苺をひけば』。今度はヘガティー視点で。

じゃあ帰るね、また明日学校で、アルパチーノ、というわたしたちにしか通じないさよならを言って、角を曲がって帰っていった。

ここ最高です。換喩に満ちた表現の中でこの文章。くー。

ミス・アイスサンドイッチ、というタイトルの語の並びだけで、心が躍る。苺ジャムから苺をひけば、というタイトルの意味が読後わかった瞬間に。

物語に近接した川上未映子の最高傑作だと思う。透徹した静謐さ。

 

文学は実験で、文字の組み合わせによってとうてい僕らが考えもつかないような化学反応で、より豊かな世界を示すことができることを教えてくれる。一見無関係なものを結びつけることによって、世界をつなぐ、関係をつなぐ。一見意味をなさないような文字列が、とうてい結びつかないと思っていた表現が、たちまちに彩りを変えてしまう、その一瞬。文字列から外にはみ出して情感が弾け飛ぶ、そん一瞬。自分の中にしか立ち現れないであろう、テクストの外に開かれた世界。

 

その世界との一瞬の邂逅を求めて、今ある世界とは別の世界が立ち上がることを求めて、文字を書き、文字を読み、文字を残す。

 

 

前向きなだけの言葉を前向きな姿勢で聞いて前向きに死ぬ。

 

サイレンと犀 (新鋭短歌シリーズ16)

サイレンと犀 (新鋭短歌シリーズ16)

 

 短歌集ブームが来てて、最近の現代歌人は勢いがあっていいですねと思っているのだけれど、岡野大嗣は中でもとりわけ好きな歌人です。『サイレンと犀』いいですよ。

 

僕は元来のネガティブ後ろ向き人間なので、あまりにも強いポジティブの光に照らされると、ゲル状に溶解してしまうのですが、世の中には結構前向きな言葉というのはあふれていて、そういうのに出会うたびにどろどろになってしまうゲル。がんばろう、努力しよう、なんていう中身のない前向きな言葉が好きじゃない。それがわかんないから悩むのにな。がんばりたい、でもがんばる方法がわからない、という人にがんばってないんだ!もっとがんばれ!というのはその人を追い込んでしまうようで。努力しよう、と思っても、どう努力すればいいのかわからない人を追い込んでしまうようで、だから前向きの言葉には、その人をより息ぐるしい隅っこへ追いやってしまうような感覚を持ってしまう。だったら後ろ向きの言葉の方がまだしも、その人にスペースを提供できていいじゃない、なんて思ってしまう。

お仕事上、後ろ向きなことばかりは言ってられないんだけれども、こうすれば、せめてなんとかなるかもしれない、ということなら言える。だから僕がよく言うのは、お金を稼ぐといいよ。そうすれば幸せになれるかもしれない。自由を選ぶといいよ。そうすれば幸せになれるかもしれない。知識をつけたらいいよ。そうすれば幸せになれるかもしれない。本を読むといいよ。そうすれば幸せになれるかもしれない。そうした積み重ねがいつか、幸せにつながるといい。

お題目のような前向きの言葉や安易な共感や同情が嫌いだ。

 

同種の話で僕は正しさが嫌いだ。

正しさを背景に話す人が嫌いだ。

正しさに心酔してしまっている人が嫌いだ。

日々日々正しさを振りかざし断罪をする人々がいる。

 

正しさというものが怖い。

とりわけ教える仕事なんてものをしていると、容易に正しさに取り込まれてしまう。教師という立場というものは正しさを求められるものですが、自分が教育職なので、ことさらそうですが、教師は聖人であるわけでもないし、聖人だから教師になるわけでもないし、教師になったら聖人になるわけでもないし、教師になるどこかの段階で聖別されているわけでもなく、それは他のどの職業でも同じことで、聖人もいれば悪人もいてそのグラデーションの中でそれぞれがそれぞれに、その人をどこに位置づけるのかを自分マターで引き受けるべきだと思いますが、翻って教師だから自分が偉いと思っている人もいるわけで、なんでそんなに強権発動できるんだ、と思うこともありつつ、ただ、教えることを職業としているだけですし、そこに偉さも何もないわけで、先達というだけで、そもそもよく考えたら人にものを教えることが好きな人ってちょっとやべえよな、と思いつつ、そもそもそういうマウントを取る傾向がある人が教職を選択する可能性もあるんだよな、と思ったら少し怖いな。もちろん人を助けたいという動機もあるだろうけれど、意識しようが意識しまいが、密閉された教室空間の中で自分が王様であることに慣れすぎてしまう怖さが教職にはあるなぁ、と思います。気づかないうちに自分がそうなっていないか。そしてまたそう考えることで他の教師を見下していないか。

あらゆる問題でそれは発生しうるもので、正しさを背景にすると人は驚くほどに傲慢に驚くほどに酔いしれることができる。

垂直の正邪じゃなくて水平の好悪で自分の問題として自分の責任として語れるようにしたい。 

なんてことをよく思うわけですが、twitterなんかをやっていると日々こんな正邪を旗に掲げて我こそは正義!と声高に叫んでいるわけですよ。絶対的な正しさなんてこの世に存在しないのに。

正義の棍棒を振り回すのは楽しいんでしょう。

だれかが用意してくれた正義の鉄槌で思考停止して殴り続けるのは楽しいんでしょう。

自分が正しい人間だと信じ、他人を悪しざまに罵り批判し批評し、自分だけが高みにいるような気持ちになれて楽しいんでしょう。

そこに知性があるのだろうか。

 お猿のマウンティングと同じじゃないですか。力ではなく、正義になっただけで。

僕たちはそんなことをするために宗教を捨てたわけではないじゃない。

神様を捨てて、不確かな科学を信じ、神様を捨ててありもしない正義を信じ、代わりに自分が神様になったかのように振る舞う。

 

人間の気持ちはゲル状で、流れていくものだと思います。

正義は個体で流れていかない。ただそこにあるだけ。

相手に向かっていく気持ちの奔流こそが愛情ではないですか。

正義ブロックを積み重ねて高い高いところに一人の王様と錯覚してふんぞりかえっているのが、楽しいですか。

 

楽しいんだろうね、と、そうしてストレスを発散していかないとやってけないんだよね、何を信じていいのかわからないんだよね、誰かに認めて欲しいんだよね、あなたが正しいと思って欲しいんだよね、と思ってしまうので、僕はまたゲル状になって、言葉を失う。

 

教える側の立場がなければ、だから僕は言いたいことなんか主張したいことなんか何もないので、日々本を読んでいたいと思うよ。優しい本を読んでいたいと思うよ。

あけがたのわたしはだしのまえあしでまるぼろめんそおるに火をともす

 

渡辺のわたし 新装版

渡辺のわたし 新装版

 

明け方、の時間が好きだ。

僕は宵っ張りなので、というか昼夜逆転生活を送っていたほうが長かったくらいなので、明け方に街を歩くことが多かったのだけど午前4時とか5時の街がまだ動き出していないくらいの時間に、少しの罪悪感とともに、新鮮な冷たい空気を吸い込むのが好きだった。なんだかんだと一番思い入れのある街は大学生のころに住んでいた仙川の街で、僕は6畳間の和室を根城に大学生活をエンジョイ、していなかった。

大学に馴染めなかった。望むような学問ができなかった。塾講師が楽しくなった。夜勤のバイトが辛かった。自堕落だった。お金が無かった。彼女がうつ病になった。自分もうつ病になった。いろんな理由はあるけれど、それらすべてが黒い塊になって僕を飲み込んだ。少しだけ、当時付き合っていた人と過ごす時間と、塾で生徒と向き合う時間だけが、人間でいられた。だから大学から離れた仙川の街は、罪悪感を覚えながらも、僕が人間でいられた街で、本屋もスーパーも小さなゲームセンターも古びた蕎麦屋も、おしゃれな喫茶店も、百円ショップも、路地裏の古本屋も、ラーメン二郎も、通いつめたスーパー銭湯も、何もかもが今考えると愛おしく懐かしい。やり直せるものならやり直したいけれど、どうせでも僕は僕なので、あの当時の僕の学問には大学が要らなかったんだろう。もしくはあの当時の僕のやりたかったことは学問ではなかったのだろう。

他の人から見るとどうかはわからないけれど、あの時間はあの時間で僕にとって重要なものだったのだろう。

大人になったフリをして、それでもまだ子どもで、何も思うようにできなくて、誰かを助けたいと思っても助けられなくて、自分ですらも満足に助けることができないことを学んだ。自分の知識がいかに浅薄で、どれほどに自分が駄目な人間だったかを思い知った。

大学に行けなくなって、日々だけが過ぎていって、バイトをして。

親には、適当にごまかして。

4年目の夏に、ついに大学から連絡がいった。

ある朝夜勤のバイト明け、電話がかかってきた。

「あんた、大学行ってなかったんじゃね」

と。

予測していたのとは、違い母の声は怒気を孕んだものではなく、悲しみに満ちていた。

「気づいてあげられなくて、ごめんねえ」

と、そんなことを言われた気がする。

落ち込んでいた。母も、僕も。

数週間前の電話で、就活はどうするんね、と聞かれて、僕は、大学院に行こうと思うんだよね、なんて、タイムリミットのわずかしか残されていない嘘をのうのうとついていた。

 

しばらくの沈黙のあと、これからどうするの、という問いに、今バイトしている塾でそのまま正社員で雇ってもらえるということ、今付き合っている子と結婚しようと思っているということ、だから大丈夫と必死で伝えた。前者は本当で、後者は嘘になった。今思えばお前は勢いだけで何を言ってるんだ、と思うけれど、当時は自分なりになんとか安心させようと必死だったのだろう。ごめん、と言ったかどうかは覚えていない。

あなたの期待に応えられなくてごめん。期待していたよね。入学した時、あんなに喜んでいたものねえ。ごめん、僕はもうあの時から嬉しくはなかったんだ。自分には向いてないような気がしていた。別の大学に行くつもり満々で、受かるはずなんてないだろうと思っていたんだ。でも、喜んでくれたのは嬉しかった。父も珍しく嬉しそうだった。家族の誇りだっただろう。それを僕は。だらだらとのうのうとぬけぬけと。

心配させたくは無かった。追い詰められると嘘をついて回避する癖があったことは確かだけれど、あなたの息子は東京に行って、一人暮らしをしたら、うつ病になりました。大学にも行けていません、なんて言えなかった。だからただ、明け方に、マルボロメンソールライトをふかして、時間をやり過ごして、こんな時間に起きてて、こんなとこまで来て、おれはなにをやってるんだ、と自嘲と自省を繰り返していた。

 

その後、僕は、正社員としてしばらく勤めていた塾を、精神的な不調で辞め、しばらく広島の実家に戻っていた。死んだような目でふらふらとし、外に出ることもなく眠り続ける僕をどれだけ心配しただろう。何も言うことなく、世話をしてくれた。実家で休養を取っている間にいろんなことを思い出した。喘息持ちだった僕は夜中に喘息の発作を起こしては父に病院に連れていってもらった。口下手な父は付き添いをしてくれたけれど、話をするでもなく少し離れたところにいて、いつも月刊ジャンプか月刊マガジンを買ってくれた。小学生だったから、週刊の方が良かったな、と思っていたけれど、僕はもくもくとそれを読んで点滴が終わるのを待った。今思えば、月刊の方が分厚かったからかな。仕事終わりによくニコラスっていうお店のピザを買って帰ってくれたこと、ビックリマンシールを箱で買ってきてくれて、一日一個って約束をしたこと。ものすごく怒られて物置に閉じ込められたこと。母のこともたくさん思い出した。幼稚園のころのお弁当にいつも小さなカードに手紙を書いてくれていて、それがとても嬉しかったこと。一緒に祖母の家の近くにある年に一度のバザーに行って、たくさんおもちゃを買ってもらったこと。中学受験の時につきっきりで勉強の相手をしてくれたこと。そんなに裕福ではなかったけれど、振り返るとどれほどの苦労をかけて、どれほどの世話をしてもらって、どれほどの思いをかけてもらっていたのか。ふっと家を見渡すと、うちのきょうだいの写真がたくさん飾られている。6年ぶりくらいに戻った実家は、子どもの頃の思い出ばかりがあった。

高校生のころには見えなかった。子どものころに良くしてもらっていたことなど。親の期待も親の願いも何もかも。家が嫌いで、ただただ反抗心ばかりで。早くこの家を出るんだ。東京の大学に行くんだ。その一心で勉強をしていた。こんなにも、思いをかけられていたのに。

思い出ばかりの実家で、明け方に、子どもの頃に過ごしていた部屋で、煙草に火をつけて、ぼんやりとそんなことを思っていた。

 

今でもまだ、寛解とは言えないんだけれど、でも少しでも安心させてあげたい。あなたたちの子どもは曲りなりにもちゃんと生きていますよ。あなたたちの孫はこんなにかわいいですよ。だから、素直じゃないダメ人間だから、ありがとうとは言えないんだけれど、できるだけ実家に帰るよ。あの頃のような期待には添えなかったけど、それでもいちおうしっかりと仕事をしているよ。自分のやりたいことしかやりたくなくて、ぶつかることも多いけれど、それでも認めてくれる人がいて、なんとかかんとかやってるよ。

 

だから良かったと思っているんだ。もしあそこで挫折しなければ、僕はずっと家族のことが嫌いなままだったかもしれない。

何も思い出すことなく、自分は自分だけで生きてきたみたいな顔をして、鼻持ちならず傲慢に、自分が世界で一番えらいんだ、と思い続けていたかもしれない。弱い心のことなんか何一つ理解せず、与えられた幸運にも、与えられた思いにも気づかず。

だから、僕が学ばなくてはならなかったのはそこだったんだろう。大学なんかに行く前に、本当ならそのことを骨身に染みて理解していなければならなかった。

それだけは、良かった。

それすら忘れてのうのうと生きるような人生なんか、ごめんだ。

だからあの仙川の街と実家が僕にとっての大学で、学ぶべきものが詰まったもので、僕は必要な学びを得ることができた。今もまだ学び続けている。誇れるものはそんなにないけれど、足りないものはたくさんあるけれど、せめて誇れるように満ち足りるように学び続けようと思っている。

わたしは光の道を歩まねばならない。

あけがたの煙草の火のように、たとえそれが小さな光であったとしても。

吐田君は、運命の選んだことが、結局正しいんだと、そんなふうに思えるようになっている。

 

吐田君に言わせるとこの世界は

吐田君に言わせるとこの世界は

 

 渡辺浩弐『吐田くんに言わせるとこの世界は』を久しぶりに読み返す。子どもを持ってからだとまた別の視点を持てるので、なおのこといいですね。

子育てのいい面悪い面みたいなのはあるんですが、子育てにいいもくそもなく、いい子育ても悪い子育てもなく、ただ各々の子育てがあり、それいいんじゃないかと思うわけですが、僕はうちの子泣いててもおーおー泣いとるわ、もっといっとけ!みたいに思ってるんですけど、成長後もわりと本気で、義務教育は出す、あとは好きにしなさいとは思っていて、高校行きたければお金は貸してあげる。できれば全寮制のとこか、一個家やるから、そっから通えるところに行けばいい、ある程度離れて暮らそう、嫌なら別に一緒に暮らしてもいいけど、家事やらなんやらは自分でやりなさいね、と思っている。大学もそう。バイトしてもしなくてもいいけど、こっちから出すお金は全部貸しで、就職したら払ってもらうよ。と思っている。自分とは別個体の存在ですし、義務は果たすけど、好きに人生を生きたらいいよ。辛くなったら戻ってくればいいし。ただしお金は返してもらうからな。

面白いのは、娘氏が喋っている言葉、何ゆってるのかはわからなくて、そのまま言い返すんだけど、違う!!って泣きわめくことがよくあって、なんだろうなぁ、と思ってたんだけど、最近英語とおんなじかー!と思って、うまく発音できなくても頭の中には正しい発音が流れている。もう頭の中に正しい音はあるんだなぁ、と思った。うまくつたわる?わかんないな。

育児はいいところばかりではなくて、しんどいところつらいところのほうがむしろ多いくらい。人によるんだろうけど。うちのあいつはご飯を食べないので毎度毎度準備しては食べないし精神が削られる。あと最近イヤイヤ期的なもので。言葉が伝わらないとに泣きわめき、望んだ行動をこっちがしないと泣きわめき、何かがなくなったと言っては泣きわめき、を繰り返していて流石にはああああああ〜〜〜〜、という気持ちになってくる。で、よくある愛情があれば〜みたいな話が出てくるんですよ。愛情があればなつきますよ、とか、あれほんとに良くないと思っていて、こっちは愛情はあるんだよ!でもきついときもあるんだよ!あれが頭に入ってしまうと、イライラするなんて俺は愛情が足りてないんじゃないか、ってさらにしんどくなるんだよお!やめてくれ!と思いました。お世話はするけど、一個の人間ですから、僕とは別のものですから。泣いてりゃはぁってなるし、準備したご飯食べてくれないとはぁってなるよぉと思います。

まぁ親がぽんこつなので、強く生きてくれ、とは思いますし、僕が思う良い家族というのは、みんなが仲良くっていうのではなくて、好きに生きていけるようにで(嫁とは仲良くしておきたいけれど)子どもはたまたまうちに生まれてきただけで、こんな父ちゃんでごめんよ、とは思うものの、社会に出られるまではがんばる、あとは好きにしたまえ、最終的にはパパと呼ぶ必要すらないぞ、健太郎さん、と呼べ、と思っている。

アドバイスが聞きたければしてやるし、必要な情報はいえば渡すけれども、自分で探しに来ないなら、自分で調べているんだな、と信用をしている、ようにするつもりだ。

 

 後からここ読み返したらすごい恐い感じになってたので、猫の画像を置いときますから、この猫が喋ってると思うといいにゃん。生徒というか高校生の皆様に向けてだにゃん。

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それは生徒にもそうで、別に言うこと聞かせたいわけではないので。大人だとして扱っているので。聞く価値がある、と思うなら授業を受けてくれればいい。わざわざ囲い込む必要はないでしょう。通わされているというのなら、言いに来れば辞めさせてもらえるように協力しましょう。質問に来ないなら、自分で消化して勉強していると信じていますよ。休むなら連絡をすると信じていますよ。自分なりにやればいいので、合わないと思ったら即座に退塾できるようにしてあるし、そこで余分な引き止めもしませんし、無論怒ったりもしません。退塾防止に電話かけや声かけをするのがマストなんですが、そんな保護者の方や生徒の判断力を疑うようなマネをしたくありません。(電話かけ=退塾というわけではありませんが)仲良しこよしがしたいわけではないので、授業の質だけで判断してくれればいい。ご相談があればすぐに聞きますし、不満があれば相談に来てくれればいい。相談する価値すらないと判断したならば即辞めてもらって構わない。

生徒をある程度大人として扱っているつもりです。あまりにも周りに迷惑になるような行為や士気を下げるような行為は注意をしますが、テストで悪い点を取ろうが、それ以外は好きにすればよろしい。ただ、親の好意で少なくない額のお金を出してもらって通わせてもらうなら、それ相応の振る舞いをしろ、やらされてる感を出すな、そんな親不孝なことはない、それなら今すぐ辞めろ、勉強なんてしたって、そんな性根じゃしょうがない、と思っています。

休憩時間も勉強してない自慢とか、スマホゲーの話とかしてんじゃねーよ。

人生かけて勉強する気がないなら早く塾やめたほうがいい。

無駄。

怒鳴ってなだめてすかして勉強させてが必要な場面もあると思いますが、俺がそれをやるのは、お子ちゃまだな、とその子をなめてるからです。

高校生はいいですよね。子どものフリして甘えて責任は全部放棄して、大人のフリして権利は主張し、子どものフリしてだらだら過ごして、大人のフリして遊び回る。

自立した大人になってくれ。高校生なんだ。 

よく授業でいうことですが、親に養われてる身で、親からもらったお金で、それでイキって何がかっこいいんだ。親からもらった金で勉強せずに音ゲーして何が楽しいんだ。親からもらった金で勉強せずにドラム叩くのの何がかっこいいんだ。親からもらった金で勉強から逃げて友達と遊ぶのがそんなに楽しいか。親に洗濯してもらった服で遊びに行くのがかっこいいか。親に洗濯してもらったパンツ履いて勉強してない自慢こいてイキるのがかっこいいのか?それで怒られたらふてくされるんだろう、どうせ。かっこわりい。自分がそんな自分でいいのか。親御さんが汗水たらして稼いだお金をあんたのために投資してくれているのに、あなたのために限られた生きる時間を費やしてくれているのに、その時間を無視して、その期待を無視して、その願いすら見なかったことにして、あなたは勉強から逃げて努力から逃げてだらだらと遊び堕落を続けるのか。

 

責任を果たしてください。期待に応えてください。どうしても反抗したいなら、がんばって金稼いで、せめて今まで投資された額を全額返してから反抗しなさい。

金もらって反抗して、世話してもらって反抗して、そんな筋の通らないことがあるか。お金だけの話じゃないけれどもね。

そしてその程度のことすらわからず、周囲に甘えて泣き言を言うことしかできないならば、難関大学受験なんか夢のまた夢でしょう。

ずっとそうやって周囲に甘えて泣き言いって、社会のせいにして、自分は悪くないと、老い老い老いていくまで叫び続けていればいい。 

にゃん。

 

 

自由のすばらしさも、愛を手に入れる大変さも、それを育てる楽しさも

 

どうぶつのこゝろ図鑑

どうぶつのこゝろ図鑑

 

 

誕生日を迎えまして。36歳になりました。前々から35歳くらいで死ぬ、という未来予測を立てていたので、この1年間は戦々恐々としておりましたが、なんとか生きながらえています。生きているもんですね。

この一年は開塾と新規の仕事やら仕事上の新しい出会いなどもあり、予測とは真反対に嬉しい一年間となりました。関わっている方々、ほうとうにありがとうございます。ほうとうに敬礼!間違えました。本当にありがとうございます。塾の方も予想以上の人数に集まっていただきありがとうございます。おかげさまで黒板とエアコンと本棚とその中身を買うことができました。少しずついい形で還元ができるようになっていければと思います。もちろん、環境だけではなくて、授業の中身の方もしっかりとがんばらせていただきます。

35歳もいろあったなぁ。子育て仕事子育て仕事子育て仕事子育て仕事思い返せば子育てと仕事のことばかり。子育てと仕事の両立って、ほうとうに大変ですね。大丈夫ですか?そんな……コシがなくなっちゃって……。間違えました。本当に大変ですね。娘氏は1歳から2歳になって、現在2歳3ヶ月くらいなんですが、だいぶしゃべるようになってきて人間らしい振る舞いをするようになってきました。嘘ついたりごまかしたり嘘泣きしたり媚びてきたりするようになりました。人間。日頃の嫁氏にも感謝の念が尽きません。

この一年の自分の中での最も大きな出来事は、高校生の頃から尊敬していた神様のような存在の横山雅彦先生に面会いただき、一緒にお仕事をさせてもらえるようになったことです。どこの馬の骨ともわからない馬の骨の僕(第三中手骨)にも謙虚に丁寧に接していただいて。最初にお会いしたときに、がっしりと両手で握手をしてもらって、その手の暖かさたるや。震えました。生きてりゃいいことあるんだなぁ。がんばってりゃいいことあるんだなぁ。一人握手会ですよ。まぁ失望されないようにがんばらないとな、というプレッシャーはあるのですが、何よりもまず、嬉しい。比喩でなく著作を百回以上読み込んできた人にお会いできるというのは、本当に信じられない体験でした。

そして塾も。想像以上にたくさんの生徒が来てくれて。みんないい子。おいおい、がんばれよぉ、みたいな子はいるけれど、それも含めて基本的な性格がほんとにいい子たちばかりで、僕は楽しく授業ができています。だからいい気持ちでもっとがんばろう、と思えています。ありがとう。

どん底だったころには決して見えなかった生活で。

20代前半の一番やばかった頃の自分に教えてあげたいよ。

ねえ。

好きな人と結婚して、かわいい娘ができて、好きな土地で暮らして、好きな仕事をして、尊敬する人にもたくさん会えて、良い生徒と良い保護者の方に恵まれ、日々楽しく暮らしているよ。大変なこともあるけれど、それはそれで充実した大変さで。生きててよかったよ。こんな未来を予想できないだろうけど、がんばって生きてたら、きっとだいじょうぶだからね。あの頃から35まで、要はあと10年くらいがんばろう、もう少しだけやってみたいことがある、と思いながら生きてきて、生きてたらもっとやりたいことが出てきて、今はまだ生きたいと思っているよ。孫の顔が見てみたい。てゆかそもそもこの子がどんな子になるんだろう。この子はどんな人を選ぶんだろう。どんな風な大人になるんだろう。そして僕たち夫婦はどんな夫婦になるんだろう。きちんと楽しい家庭が作れるだろうか。いつまでも仲良く出来るだろうか。自分には何ができるんだろう。どんな仕事をしていこうか。どんなことが待っているんだろうか。まだまだ知りたいこともやりたいこともたっくさんあって。できなくてうまくいかないくて悔しいこともまだまだたくさんあって。楽しいよ。

今日は誕生日だったから、お昼にケーキを食べたんだけど、嫁からは革の名刺入れ、娘からは手作りのカードをもらったよ。そして一緒にケーキを食べた。娘はなんとまるまるケーキ一つ食べたよ。いつもは食が細いのに、こういうときだけたくさん食べるんだよ。開ける口の大きさからして違うの。お前そんな口大きく開くんかい!いつもご飯の時とかおちょぼ口なんにね。嫁からもカードをもらって、手紙が書いてあって、いつもがんばってくれてありがとう、って、楽しく暮らせてるよ、って、娘もパパ大好きって言ってて、私も大好きだよ、家族みんなが大好きだよ、って。嬉しかった。自分みたいな出来損ないに家族なんて作れるわけがないと思ってるよね。大丈夫だよ。ぽんこつだけど、僕の弱いところを受け止めてくれる人が現れるよ、ぽんこつだけど。でもこの人じゃないとダメだって人と出会える。娘も、俺が具合悪くて寝てたらパパ寝てるね、早く起きないかなー、って言って起きるのを待ってくれてるんだよ。「ぱぱだいすきー」っていっぱい言ってくれるよ。すんごくかわいいよ。

あなたが望むものはほとんどここにある。だから安心して生きて。

その先まだまだ辛いことがあるけれど、それでも俺はまだ生きたいと思えているよ。生きてて良かったと思えているよ。

だからがんばろうね。俺もがんばる。

あなたの夢を壊してしまわないように。

あなたの思う汚い大人にならないように。

あなたががっかりしてしまわないように、あなたが羨むような人生を生きてやる。

あなたが望む人生の、その何倍も生きて、生きてて良かったって言わせてやる。

 

だから嘘だと思って信じて。ね。

 

今の僕にはまだ見えていない世界がある…

 

はじめアルゴリズム(3) (モーニング KC)

はじめアルゴリズム(3) (モーニング KC)

 

 はじめアルゴリズムという数学の漫画がちょうおもしろいので読んでください。

読めば数学が好きになる(かもしれない)本は次のもの。

 

青柳碧人『浜村渚の計算ノート』(現在9巻まで)

浜村渚の計算ノート (講談社文庫)

浜村渚の計算ノート (講談社文庫)

 

 

王城夕紀『青の数学』(全2巻) 

青の数学 (新潮文庫nex)

青の数学 (新潮文庫nex)

 

 

 結城浩数学ガールの秘密ノート』(現在9巻まで)

数学ガールの秘密ノート/式とグラフ
 

 

 E・T・ベル『数学をつくった人びと』(全3巻)

数学をつくった人びと〈1〉 (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ)

数学をつくった人びと〈1〉 (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ)

 

 

ロリアン・カジョリ『初等数学史』(上下巻)

初等数学史 上 古代・中世篇 (ちくま学芸文庫)

初等数学史 上 古代・中世篇 (ちくま学芸文庫)

 

 小堀憲『物語数学史』

物語数学史 (ちくま学芸文庫)

物語数学史 (ちくま学芸文庫)

 

 

 加藤文元『物語 数学の歴史ー正しさへの挑戦』

物語 数学の歴史―正しさへの挑戦 (中公新書)

物語 数学の歴史―正しさへの挑戦 (中公新書)

 

 

サイモン・シンフェルマーの最終定理

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

 

 

 遠山啓『数学入門』(上下巻)

数学入門〈上〉 (岩波新書)

数学入門〈上〉 (岩波新書)

 

 

 森田真生『数学する身体』

数学する身体 (新潮文庫)

数学する身体 (新潮文庫)

 

 

数学が生きていることがわかる本。

中学生の時に数学全然わかんなくて落ちこぼれていた僕を救ってくれたのは、本でした。何やってんのかわからなかった時に、数学史の本が救ってくれた。人類が悪戦苦闘した証で、苦心惨憺したきた証拠で。その営みの気の遠くなるような距離と、そこに果敢にも挑んでいった人たちのそれは生きた痕跡で。教科書や問題集が愛おしくなった。かといって何もかもミラクルにできるようにはならなかったけれど。磨かないといけないんだな、と、努力しないとな、とは思えて、はじめて、少し自由になれた気がした。実際に入試でもかなり自由に解いた気がする。基本ツールは揃えないといけないけれど、そっから先のどう使うかは、ある程度自由に開かれているんだなぁ、と思えて数学が楽しくなった。あとは当時代ゼミにいらっしゃった西岡康夫先生の授業も大きかったなぁ。そうして、うお、なんかできるんじゃね?と思って万能感みたいなのが出てきて、問題を解いては解けなくて、悔しくて。今の自分には見えない世界が、手が届かない世界がある。なんとかしてそこまで、届きたい。あの人が見ている景色をみたい。だってすごく美しそうだから。そんなことを思っていた。

基本的に中学生のころは、全部の教科がわからなくて、つまんなかったけれど、本との出会いによって、今は全部楽しい。全部が愛おしい。

 

たくさんのいい本との出会いがみなさんにありますように。

少しでも世界が開けて、息苦しさが消えますように。

 

ありがとう、ファンソン。みんな、きみのおかげだ。

 

いつかソウル・トレインに乗る日まで

いつかソウル・トレインに乗る日まで

 

 

高橋源一郎は泣ける。泣けるという言葉は好きじゃないのだけれど、泣ける映画を見に行く人はなんなんだ。泣きたいのかそうか。映画の音楽消したら全然違うものに見えた、みたいな話あるじゃないですか。活動弁士みたいなのがいる時代に生きてみたかったなあ。一度イベント的なもので見に行ったことがあるんですが面白かった。ああいうのは違った人がやれば露骨に違ったようになるんだろうなあ。ブレスの位置、間のとり方一つで、解釈は変わっていくもので。音楽がないは、音楽がないという音楽で、ジョン・ケージで、やはりそれもありのままではないのだろう。私たちの生活においても、自分が心に浮かべたスクリーンに映った心情を声という音楽にのせて話すわけで、それは自分のスクリーンに映ったものとはまるで違う映画に相手の中ではなっているのだろう。同じ映画を見てさえも同じ感情になることはないのに、まして違う映画を見て同じ感情になることはない。

僕たちが用いる言葉は輪郭がはっきりしているようで曖昧で、模糊としている。言葉の伝達の問題。私が思い浮かべたりんごと、あなたが思い浮かべたりんごはおそらく違うものでしょう。(僕はミッフィーに出てくるりんごを思い浮かべました。かわええやろ)抽象的な言葉であればもっとずれがあるだろう。私が思い浮かべた自由と、あなたが思い浮かべた自由は異なるもので、心情であればもっとずれる。私が思い浮かべた悲しみは確実にあなたが思い浮かべた悲しみではない。私が私の思う悲しいで発した「悲しい」という言葉は、あなたの中の悲しいという言葉の意味に変換されて、悲しいと受け取られる。我々には意思の疎通の主な手段は言葉しかないのだが、その言葉には誤解しか生まれない構造がビルトインされている。それはというと人間がそれぞれ別個のものであるからで、心情を共有できないからだ。私はわかる、という人も友達の落ち込みに対して「わかるよ」といったところでその「わかる」はあなたの「わかる」でその友達の「わかる」ではなく、その友達の「落ち込み」もあなたのものと同一の「落ち込み」ではないのだ。「大丈夫?」も「心配」も「辛かったね」も、共有しているようにみえるのは錯覚で、お互いにいびつなゲームを繰り返し歪な砂上の楼閣を築き上げているに過ぎない。だから私達は言葉を尽くして定義を尽くして対話を尽くして、いつか届くかもしれない手に入るかもしれない脳内の合同を求めてコミュニケーションを尽くしていくしかない。それが窮屈で、定義の曖昧なエモいとか卍みたいなのが流行るのかもしれない。とりあえず言っときゃなんとかなる。みたいなのはコミュニケーションの流通コストが少なくて済むし、お互いに何かを了解し合っている感じになる。コミュニケーションさえしていればいいのであればそれでもいいかもしれないね。同じ集団の中だけで伝わる言葉は楽しいもんね。お互いのお互いにだけ通じる言葉はロマンティックだものね。それはコミュニケーションをすること自体が目的化しているから。

余談だけれども、いわゆるレッテル貼りもこうしたコミュニケーションのコスト削減を狙ったもので、A型=几帳面、O型=おおざっぱ、双子座のあなた!クロヒョウのあなた!(懐かしい動物占い)、それは楽だしわかった気がしてわかられた気がして楽しいんだろう。マイノリティーのレッテルもある。LGBTが広まった現状において、だいぶマシになったとはいえ、「こういう奴らはどうせ〜だ」みたいなものを偏見といい「こういうやつらには〜してもいいんだ」みたいなものを差別という。型にはめると楽なんだ。人工的に作られた形のはっきりとした概念(それだって同じ解像度ではないだろうけれど)は共通理解がたやすく、楽なんだろう。かといってマイノリティーの権利を求めろ!差別やめろ!という話ではなくて、マイノリティー免罪符・マイノリティー通行手形みたいなのはあんまり好きじゃなくて、「〜だからといって差別をするな」、というところから「〜だから非難するのは間違っている」を経て、「〜だからどんな振る舞いをしても許される」みたいに何してもいいみたいになってくるのがよく見受けられるような感じがあり、なんだかなぁと思ったり。当然マジョリティー側から気を配ることは必要なことで、そんなのは相手がマイノリティーだろうがなんだろうが変わらず必要だけれども、マイノリティーだからといって努力をしなくていい開き直っていいというわけではなく、最大限の努力と気配りをするのが望ましくて、それは両者に必要なことで、その上でできないものは、お互いしゃあないですね、で済ませられるような世の中になればいいなぁ。マイノリティー問題に限らずのお話で、お互いに気を配り合うことができれば、コミュニケーションコストはそんなに気にならないのだけれど、一方が手を抜き始めると、途端にコストが爆上がりするように感じられて、何やってんだろな俺、となってしまうのでやってらんねぇな、と感じてしまう。

 

コミュニケーションの努力を尽くしたうえで、それでも了解し合えないものは仕方ねえなって笑って、おれこんなのできちゃったよ、って楼閣を見せ合えればいいのに。

 

最大限の努力と気配りをお互いにして、それで、うまくいかないね、仕方ないねって笑って。

お互いにさ。

そういう世界に僕は住みたいなと思うし、そのためならどんな努力だってするよ、と思っている。

うちの嫁はだいぶ長く一緒にいるけれど、ようやく言葉のすり合わせができて、だいたいのことは把握できるようになったけれど、それでもまだお互いに言い過ぎたり、配慮が足らなかったりするけれど、しゃあないね、って僕は心の中で笑えている。ほんとに笑うとバカにしているって怒るから。向こうはどうだかわからないけれど。笑ってくれてるといいな、と思う。

 

なんの話かというと、昨日うちの子が、部屋干ししてたタオルがほしいって泣いて、乾いてないから後ねって言ったら、びーびー泣きながら「かなしい〜」って言って、お、すげえ感情の発露、と思った話。「かなしいねえ」って言いながら抱っこして、僕はにこにこしていた。

そうだよ、悲しいときには悲しいっていいなね。ほかの言葉や理屈で塗り固めたっていいことなんか何もない。なるべくそのままを口に出せるようになってね。いつかあなたの「悲しい」をそのままの相似形で受け取ろうとしてくれる人がきっと見つかる。俺もなる。

 

末尾に子どもの話を絡めるとなんかいい感じの話に見える。これもレッテルでバイアスです。

昨日おれが、部屋干ししたタオルがほしいって泣いて、乾いてないから後ねって嫁に言われて、びーびー泣きながら「がなじい〜〜」って言ったら、嫁に「かなしいねえ」と言われた話だったら、お前はなんの話をしてるんだってなるものね。

俺はなんの話をしているんだ。

 

世界は楽しいですね。

みんな、きみのおかげだ。

涙腺に石が詰まっているんです

 

偶然の祝福 (角川文庫)

偶然の祝福 (角川文庫)

 

 問題作成のために読み返していたんですが、大変よいですよね。小説の問題は結構難しくて、素材選びから難航するんですが、その合間に読み入ってしまうので、さらに時間がかかることかかること。設問化するためには、あまりに抽象的なものや逆に具体的すぎるものが使いにくくて、ちょうどよいのが重松清三浦哲郎なんですが、もうほんと設問にするためにあるようなちょうどいい飛び石具合の箇所が用意されていて、ナウな入試問題にヒットするわけですけど、まぁ毎回毎回重松清にするわけにもいかず、手を変え品を変えいかなくてはならないですし、担当の方によく見られたいという虚栄心もありますから、やぁさすが先生お詳しいお目が高い!と言われたいので、少し古めの作家だったり、逆にほんとに最近の作家だったりを素材にしたりするのですけれど、だいたいまぁ普通に拝受しました、みたいな感じで終わってしまいますのでね、切ない心持ちがしますね。そもそも作問要件を満たせないものが多くて、総字数〇〇〜〇〇字で比喩・心情要素の説明が必要なもの・慣用表現とこのレベルの漢字が入ってるもの、みたいなのがそうそう見つかるわけもなく、延々と探し求める旅に出るわけですが、そうするとたまーーーに、これこれ〜!みたいなのが見つかってアドレナリンがどばーっと出たりしますね。まぁそのあと作問せなならんのでノルアドレナリンも出るわけですが。(適当です)広がれ俺のα受容体!(適当です)

まぁあと大変なのが短歌やら俳句やらですけど、大学受験ではそうそうでないのでいいんですけど、中学までのものだとそもそもかなり限られてしまうし、解釈幅がありすぎるものも選べないし、ていうか解釈幅がないものなんか短歌でも俳句でもないやい!と思ったりもしながら、こっそり斉藤斎藤とかを忍ばせるんですけど、なかなかなかなか。短歌も俳句も面白いものが多いのになぁと思っているのですけれど、この4月5月6月のNHK短歌のテキストに詩人の文月悠光・穂村弘対談があってめちゃくちゃおもしろかったんですが、こういうのも読んだりしてほしいなぁと淡い期待をひめつつ、自塾の雑誌コーナーに置いていたりするのですが、まぁ手に取られた形跡はあまりないですね。残念。だんだんこの歳になってくると、とにかくNHKが面白くて、ドキュメント72時間や、短歌の番組やおだやか〜な番組に癒やされたりすることも増え、子供ができてからというもの、朝夕の子供向け番組の存在は非常にありがたいので、NHK受信料もむしろ喜んで払うくらいの勢いで、huluやNET FLIX全盛の世の中でこんな価格でこんなにいいものを見せていただいていいんですか!びば!国営放送びば!ゔぃゔ・ら・ふらんす!という気持ちな子持ちであります。ししゃも。

 

NHKといえば(本題)今年から始まった大西・神・泰斗先生のラジオ英会話が始まりましたので、ぜひみなさまご視聴ください。お時間のようです、ご清聴ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

で終わってもいいんですが、わたくしに明日はございません!ばばん!練りに練られたスキット!いきいきとした英文法!軽妙洒脱な解説!あふれるユーモア!超楽しい!というものですので、全高校生いや全国民にいや全非国民に聞いていただきたい。全非国民だと国民ではない人たち全員になってしまう。非全国民かな。違うね。なにこれ。どういう意味。わかんない。全地球市民か。それ。それに聞いてほしい。犬も。犬にも聞いてほしいわん。すべての生きとし生けるものへ送るそれがラジオ英会話。猫も杓子もねずみもカエルも蛙もかじかも。カエルといえば、I'll make you a frog.っていう例文が出てきたときは心が震えたよね、ね!すごかったよね!とにかく素晴らしい。6月は時制についてです。素晴らしい無料の音声解説(ラジオ)が4時間ついて、なんとテキストお値段500円(くらい)!はわ〜英語界の価格破壊や〜。黒船来航や〜。◯タディサプリも真っ青やで〜お値段スタディせな〜。というくらいのお値段なので聞かない理由が一つもない!ぜひご一聴を!という話をしたかったという次第です。

 

よろしくご査収くださいませ。

あなたのレースが良い景色に恵まれることを、僕は祈ります。

 

発達障害の僕が「食える人」に変わった すごい仕事術

発達障害の僕が「食える人」に変わった すごい仕事術

 

 

 

ぼちぼちブログを書かないといけないな、と思いながらも、幾星霜。まともに書く気があるのか、といえばあるのですが、午前中は具合が悪くて寝込んでいるか、子供の相手をしたり、外部の仕事をこなしたりなど、授業前は準備があろうとなかろうと、そわそわしており、授業後は何も考えられないくらいに疲弊しているので、なかなかブログを書くことができないという長い言い訳をしつつ、冬は特に具合が悪く、なおかつ受験ど真ん中ですので、何もできず、そうこうしている間に春こそは!と思っていたら、新規の仕事で出張が相次ぎ、あっという間に春が過ぎ、もはや季節は初夏。さわやか〜。半袖?長袖?間をとって七分袖?みたいな気候になって参りまして、お昼なんかはぽかぽか陽気で、娘も散歩に行きたがり、「おいしいパン買いにいこーよー」(=パン屋航路)などというので、よ〜し仕方ないなパパ仕事があるんだけどな、などといいながらパンを買いに行き、チョコベーグルのうまさに度肝を抜かれた瞬間にこう思ったわけです。「お前はブログを更新せねばならない」。

 

まぁそれは違うんですけど、冒頭に上げた『発達障害の僕が「食える人」に変わったすごい仕事術』がすんごく良かったので、みんな読んでね!というお話で、これは書かねばならん!ならんし、これを書くことによって、またブログを更新する契機とせねばならん!ということを思い立ち、妻子の寝静まったこんな時間にMacbookノンアルコールビール片手に打鍵をしまくるという蛮行を遂行しているのであります。

 

当初、塾のブログということで比較的まともなことを書いていたのですが、その記事はほぼ消しまして、ほぼ何もない雑感を伝えるものになります。いいことはゆったりゆわなかったりします。

 

が、この本は素晴らしい。ということでAmazon書誌情報からですが、

 

うつでもコミュ障でも必ず成果は出る!発達障害だから書けた「弱者の戦略」

自分は「大人の発達障害」なのでは、と悩む人が多いなか、その解決策を具体的に示した本は少ないのが現状です。
本書には、発達障害当事者である著者が、試行錯誤と度重なる失敗の末に身につけた「本当に役立つ」ライフハックだけを詰め込みました。
発達障害の人はもちろん、グレーゾーンの人、仕事や人間関係がうまくいかない人にも役立つ1冊です。

●第1章 自分を変えるな、「道具」に頼れ 【仕事】
「かばんぶっこみ」こそが最強の戦略である
「バインダーもりもり作戦」で書類の神隠しを防ぐ
さらば、片づけ地獄! 「本質ボックス」と「神棚ハック」 ほか

●第2章 全ての会社は「部族」である 【人間関係】
人間関係の価値基盤「見えない通貨」
部族の祭礼「飲み会」は喋らず乗り切れ
共感とは「苦労」と「努力」に理解を示してあげること ほか

●第3章 朝起きられず、夜寝られないあなたへ【生活習慣】
「眠れない」あなたがやるべきたったひとつのこと
発達障害の僕でもできた、最強の「二度寝」防止法
身だしなみは「リカバリー」を重視せよ ほか

●第4章 厄介な友、「薬・酒」とどう付き合うか【依存】
コンサータを飲んでみた感想――ないと「事務ミスドミノ倒し」が発生
ストラテラを飲んでみた感想――僕は今飲んでいません
飲んでいい酒、飲んではいけない酒 ほか

●第5章 僕が「うつの底」から抜け出した方法【生存】
休日に全く動けなくなったらすべきこと
うつの底で、命を救う「魔法瓶」
自己肯定に「根拠」はいらない ほか

内容

自分は「大人の発達障害」なのでは、と悩む人が多いなか、その解決策を具体的に示した本は少ない―。そんな悩みを抱えていた著者が、試行錯誤の末に身につけたライフハックを詰め込んだのが本書です。「普通」には生きられなくても、食べていくことはできるし、生きていくこともできる。仕事や人間関係がうまくいかない全ての人のための「日本一意識が低い」自己啓発書。

 

 

目次を見ただけでよくあるライフハック系のものとは一線を画したものであることがびんびん伝わり、これはすげえ本を読んでいるんじゃないか、とまえがきで思い、終章までを読み、感動で体を貫かれていること間違いなし。全編に優しさに満ちた自己啓発書。

 

僕自身がうつ病というか、現状軽度の双極性障害パニック障害を持っていて、それは今でも格闘中なのですが、ADHD基質もあり、まさに対象そのものといった感じの人間なのもありますが、「普通」に馴染めない人、「普通」に振る舞えない人、そんな人でもなんとか生きていくためのTips集で。

ただそれでいいんだよ、と肯定するだけではなく、僕はこうやったらうまくいった、もしかしたら君にも効果があるかもしれない。少なくともこうやって試行錯誤してるうちになんとか生きていくことができた。生きていけば、「普通」に混ざっていきていくことができる。それが正しいことがどうかはともかく、生きづらい環境をなんとか耐え抜くことができるよ、と。

キャッチャー・イン・ザ・ライなんですよ。

それが馬鹿げていることも知りながら、デリケートな問題なので、批判が噴出する(twitterでのあり方もあるとは思うけど)のも受け止めながら、それでも書きたい伝えたいという思いがびしびし伝わってくる。(ビジネスとしての面は当然あるでしょうが。)

 

不肖このわたくしも、ライ麦畑の捕手になりたくて、学校教育になじめない子をなんとかしてあげたいと思っています。

 

昨年は開塾期ということもあり、ひとまず様子を見ながら、今僕ができる最大限のことをやろうと考えそれを実行しました。レベル感を模索しながらも、難関大学受験専門と割り切って、レベルを高めに維持しつつ。初年度、僕が想定していたよりもたくさんの子たちが来てくれました。だからこそ、それが目の前の子たちを救う助けにはなっていないんじゃないか、と思うようになりました。学年6人もいればいい、難関大学を狙う子はそのくらいだろう。意志の強い子だけくればいい。僕のここ尾道での役目は、難関志望の子で、この地域だと受けられないような内容のものをすることだ、と思っていました。でも実際に目の前にすると、そして日々しんどそうな姿を見ると、なんとかしてあげたいなぁ、と思うようになりました。学校の課題に追われ、部活に追われ、スケジュールはぎちぎちで、いつも疲れた顔をしている。なんだかそれは切なくて。(うちのメインの対象はほんとにすごいので)

もうちょっと寄り添おう、学校を楽にしてあげよう。もっともっと効率のいい、学校も受験もうまくいくようなカリキュラムを練ろう。難しいけど、それは僕ががんばればいい話で、去年の夏あたりから、教材研究をもう一度はじめて、カリキュラムを練って。ようやくここじゃないかな、というところを掴んだ気持ちでいます。今年から高1生は速単に加えて、学校教材を準拠にしています。これまでは速単オンリーで行ってたものを、教科書準拠を加えました。スタートは導入があったので、少し出遅れましたが、学校にキャッチアップして追い越します。予習の手間や復習の手間、テスト対策の手間を極力省けるようにしました。また、おそらく全体的に手薄になっている抜けている基礎知識・基礎技術もだいたい把握できてきました。昨年度は高2から、そのあたりはある程度できているものとして進めてきたのですが、そうではない子が多く見受けられたので、(地域差というのはほんとにあるもんなんだな、と実感しました)大幅に作り直して、学習ステップを見直しました。昨年の高2生、現高3生は大変しんどかったと思います。すみません。ただそれは無駄ではなく、今後基礎定着を経てしっかりと花開くものだと思っています。

単語に関しては妥協はできませんでした。集客を考えれば、学校と単語集を揃えた方がいいんですが、覚えにくいものや情報が不十分なもので進めるのは、最終的な運用力に大きく差が出るものだと考えていますし、複数の単語帳をこなし、とにかく様々な側面から暗記をすることのトレーニングは高1の段階から必要だと思っています。単語の定着は言わずもがな、それによって広がったキャパシティーが高3以降の暗記のブースト、副科の短期習得につながります。ここはこらえてがんばってください。

最適なものを提供できればと思っています。それでもなお届かない子はいるとわかっているものの、なるべく多くのしんどい思いをしてる子を、僕もそうだったから助けたい。勉強がつまらなかった、学校の授業が何もわからなかった、意味のわからない課題をとにかくやるしかない悲しみと無力感。そんなものからなるべく解放してあげることができればと願っています。(学校に対しての不満を述べているわけではありません。事情はそれぞれにありますから)

僕自身が勉強できなくて、なんとか乗り越えてきたその方法は、万人向けじゃないかもしれないけれど、多くの人を助けられるようにがんばってきたから、そこそこ自信はあります。それこそ、落とし穴をたくさん教えてあげることができる。僕は基本的に怠け者で、注意散漫で、いわゆる単調な勉強が大好きなわけでもありません(学問によって開ける世界は大好きですが)。授業以外の仕事も楽しいけれど、単調作業は今でも苦手です。それでもなんとかしようとがんばってきたそのノウハウはあります。気分の浮き沈みは激しいし、不安で不安でたまらないけれど、でもそれでもがんばって生きています。

 

だから、”あなたのレースが良い景色に恵まれることを、僕は祈ります。”

ありがとう。やっていきましょう。