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受験屋本舗さかた塾

2017年度尾道新規開校・東京大学現役合格講師による直接対面授業の難関大学専門塾

阪田健太郎ヒストリー 大学生・社会人編

塾長つぶやき

大学に入って、まず直面したのが、授業のつまらなさだ。

いまなら、楽しめると思う。ぜいたくな環境だったな、とうらやましくもある。1年数十万で最先端の研究者の話が毎週毎週何時間も聞ける。なんて素晴らしい環境なんだろう。

でもほとんどなんの準備もなく、心構えもなく大学に入ったぼくは、それがあまりにも思い描いていた大学の姿と違って、愕然とした。

最先端の学問を面白く熱く話してくれると思っていたのだ。知的好奇心が刺激され、わくわくするような学問が待っていると思ったのだ。自分の学問なんかなかったくせに。

いまならわかる。教授は研究が専門で教育はおまけ。あくまでもその背中を見て自分で育っていかなくてはいけない。

あまちゃんだった僕は、すぐに目的を見失った。

 

唯一の希望だった英語も、ただ読むだけ。ただ見るだけ。ただ話すだけ。

何をすれば効率的に話せるようになるのか、なんてことはまったくなくて、がっかりした。これも今思えば、そんなことは英会話学校行けってことなんだけれど。

だんだん足が遠のいていった。興味のある語学(スペイン語・韓国語・中国語・ギリシア語・ラテン語。これは今も役立っている。)とか美術とか仏教とかの授業だけつまみ食いして出てたけど、単位は全然足りるわけがなかった。テストのため、レポートのために勉強することにも目的を見いだせなかった。

大学に行ってうつ病になった。なんのために大学入ったんだろう。なんのために一人暮らししてるんだろう。なんのために生きているんだろう。全身に血のかわりに砂が流れて体が重くて起き上がれない。今でこそ、ユニバーシティブルーとかいって、認知されているけど、当時は自分がなんでこんな状態なのかさえわからなかった。

とはいえ、実家が豊かなわけじゃなかったので、アルバイトをしないといけない。コンビニからホテルのフロントから模試採点からいろんなバイトをした。仮面をつければいいバイトは唯一人間的に過ごせる場所だった。直前までうんうんいって布団の中にうずくまりながら、ぎりぎりの時間にようやく抜け出し、バイトに行くと元気になる。その繰り返し。

そんなときに僕を支えてくれたのは塾だった。はじめの塾は桜上水にある、離島の学校のような佇まいの古民家だった。小中学生向けのところ。まだパソコンなんかも導入されてなかったので、授業のプリントは全部手作りしなきゃいけなくて、リラックマのノートを買ってきて、それに手書きで英文法をまとめたり、文章の読み方をまとめたりした。練習問題も自分で作って、字が汚いのがコンプレックスだったから、すごく嫌だったけれど。でも人数も少ない分アットホームというか、密に話し込むことができた。今でいうLDの子が多い印象で、一緒に百ます計算をしたり、音読をしたりした。「先生、できるようになった!」って言ってくれるのがすごく嬉しくて、今でも僕の原点だ。

そのあとはいろんなところを転々とした。どうしても高校生を教えたかったんだけれど、なかなか難しくて。ようやく、三鷹の小中高対象の塾で、高校生を見ることができた。そこも最初は小中からだったんだけれど、高校生の子が、わざわざ中学部まできて、個別に質問させてほしいって言ってくれて、うれしかったなぁ。正規の英語の授業を休んで来てたりして、俺がしこたま怒られたりしたな。わざわざ来てくれるっていうのがどれほど嬉しかったか。その塾で、スパルタ式に教務はもちろん業務のあれこれを叩き込まれた。塾長がめちゃくちゃ怖くて。塾生保護者への電話掛けや営業の御用聞き、塾内報の作成から保護者会・イベントの準備、ビラくばり、進路指導、保護者面談。英語担当できたはずが他教科の授業もばんばん投げられる(ダメだったら外される)授業もきっちきちに詰まってて、夜遅くまでやってたから(たぶん23時近くまでやってたはず)、残務整理して、全体報告して、ってやってたら24時越えるのは当たり前。(ちなみに電話掛け等は授業の合間にやる)今でいうブラックもブラックなハイパーな塾だったけれど、下から上まであらゆる業務を教えてもらったおかげで、今の僕がある。というか、あのレベルで細かいケアを徹底している塾を僕は見たことがない。すごくいい経験をさせてもらった。雑務も全部回ってきたけど、それもそれでいい思い出だ。のちの塾で講師の方が、蛍光灯の交換とか、コピー機の故障とか、全部事務に投げちゃうのを見てすごくカルチャーショックを受けたのを覚えている。(大手で水とかおしぼりとかチョークセットとかを準備されるのは今でも恐縮して慣れない。下っ端根性が骨身にしみている。)でもあれがなかったら、雑務を全部自分で処理できなかったし、自分が動けば安くあがるのに、それが選べなかっただろう。いま思えば東大だから、と甘やかされることもなかったし、東大だからできて当然と言われることもなかったな、その意味ではいい環境だったな、と思う。ブラックだったけど。

それと並行して行ってた家の近くの個別の塾も印象深い。集団も個別もどっちもやりたかったので、並行してどっちも行くようにしてたんだけど、できたての塾で大学生ばかりで、かなりの部分を任せてくれていたので、授業研修をしたり、イベントを計画したり、すごく楽しかった。塾長変わってからそれができなくなっちゃったのでやめてしまったけれど。個別にもすごい先生はいるもんで(数は少ないながらも)、授業を受けるだけで人が変わったようにやる気にさせる先生がいて、僕はいつもその魔法のような手腕に憧れていた。生徒と先生の垣根なんか越えて、ほんとうに関わっていくことを自然とこなすその姿をみて、ぜったいその技を盗んでやる!と思っていつも後ろか横のブースで授業をして観察していた。

どこでも。

「先生、成績あがったよ!」とか「わかりやすかった!」とか「受かったよ!!!」って言ってくれるのが嬉しくて、すごくやりがいを感じた。ずっとやりたかった仕事ができて、そしておそらくは自分が向いてるんだろうってこともわかってきた。

三鷹の塾はそこそこ長いこといて、中退後も正社員にもしてもらっていたのだけれど、あまりに環境がブラックすぎて続けることができなかった。折良く広島の塾から声をかけてもらって、広島に戻ることになる。

この頃には数々の塾や予備校をみて、自分のやりたい教育の形が見えてきていた。

英語だけじゃダメだから、自分で全部の科目をみれるようになりたい。

ひとクラス20人くらいで、集団でありつつ、個のケアができる形がいい。

そんな塾を自分で作りたいと思うようになった。

でもまだ、経験も足りなければ、資金もない。

声をかけていただいた塾はちょうど拡大期にあって、社員も少人数でいろんなことをさせてもらえそうだったので、僕にとってはこの上ないオファーだったのだ。そして塾長の人柄も良かった。いまでも大好きなんだけど、ブラック塾長のあとで人柄の良さというのは最重要のファクターだったと言っても過言ではない。

そこで英語からはじめて、国語、社会ぜんぶ、理科ぜんぶ。校舎運営から塾長業務まで、すべて望むことをやらせてもらった。科目をまたぐのは、まして文理まで混ぜてまたぐのは、普通にやってたら決してできなかっただろうことだ。またいでやってて、中途半端なものになるのは嫌だったから死ぬほど努力した。ほとんど仕事しかしてなかった。ある年授業アンケートを取ろうということになって、その結果全担当科目で94%の満足度をとることができた。ひと科目だけみてる講師を大差でぶっちぎって1位だった。いうても小さな塾だし、それで満足することはなかったけれど、でも一つの目標を達成することができた。

ちょっと毒があることだけれど、大事なことだから言おうと思う。

それでも、「さすが東大だね」、と言われた。「やっぱり東大生は違うね。」努力をみられることはなかった。それは僕の態度の問題でもあるだろうけれど。若かったから、努力を見せたくなかったし、年上だからといって媚びたくもなかった。いまからすればバッカだなぁと思うし、無礼きわまりないな、と思う。でも、自分ががんばって結果を出して、それがもっともっと刺激になって全体が活性化してみんなが1科目でも2科目でも多科目教えられるようになれば収益が上がる、と思っていた。なのに東大だからの一言で終わってしまった。

ほかのとこでもさんざん言われた。東大だから東大なのに東大東大。もうほんとに嫌になって自分から言わなくなった時期もあった。今は割り切っているし、宣伝になるのでいうけども。それはそれ。歴としてみてもらう分には全然構わない。ただ授業には努力には

関係ないだろ。

うちはお金持ちでもないし、代々高学歴の家庭でもない。生まれつき頭が良かったわけでもなければ、東大だからうまく教えられるわけでもないし、おぎゃーと生まれたところが赤門だったわけじゃない。才能なんてないし、口下手だし。

ただただ他のひとが遊んでる時間を勉強と授業研究に費やしてきただけだ。

趣味らしい趣味もない。スポーツもからっきし。ほぼすべてが仕事とつながっているような生活をずっと送っているから。ほかのことをすべて犠牲にしているからだ。デスクワークばかりでこの年になって肥えてきた。やせたい。

だから授業以外のことはてんでできないし、授業以外の僕はぜんぜんつまらないくだらないダメ人間だ。

そういう生き方をしろというわけではない。

努力ができるということも環境や才能の問題があるかもしれない。それだけが価値があることではないかもしれない。でも。

 

自分が努力しない言い訳をするために他人の努力を見ないふり。そんな態度が我慢できない。

だから成績があがらないことを生徒のせいにする。

自分がやらなかったツケを生徒に払わせる。

生徒の人生を台無しにしていることにも気づかず自分のことばかり考えて。

汚い人間でもずるい人間でもいいけれど、それを自覚することがせめてもの誠実さではないだろうか。

だからうまくいかないことをひとのせいにする

だから怠けていることから目を背けてやってるフリばかりうまくなる

だからがんばってる他人を引きずり下ろすことに躍起になる

だから悪口ばかりいって、環境のせいばかりにして、自分は一歩も成長しない

そんな人間を再生産するだけだ。

 

教育業界もふつうの社会で、そんないいことばかりじゃねえなと嫌気がさしていたときに、それでも、と思わせてくれたのはやっぱり生徒たちだった。自分の塾をはじめてしばらくたって。

いつのまにか、みんなが掃除をしてくれるようになった。きづけば女子トイレが綺麗になってた。自習室はブースじゃなかったんだけど、それでも喋るひとはいなくなってた。帰るときにエレベーターを次のひとのために3階まであげといてくれた。言わなくても他人を気遣うことが自然にできていた。

すごく嬉しかった。

こういう世界を作りたいから、自分は教育をやっているんだな、と思った。

わからないものをわかろうとすること

こちらから手を伸ばすこと

その努力を決してやめないこと

こっぱずかしいので、授業のなかで真面目に話すことはないけれど、でもそれでも、伝わっているんだな、と思った。

伝わらない絶望が、少しだけ晴れた気がした。

僕の学問は理解すること、そして、伝えること。

それを人生通してやっていくんだ、と筋がすっと通った。

 

もっとたくさんのひとに伝えたい、もっと大きな仕事がしたいと思っていたら、紹介してくれるひとがいて、声をかけてくれるひとがいて、たまたまそういう仕事が回ってきた。ありがたい。難しいけれど、少しずついろんな形で、想いを込めて伝えられるようになっていきたい。

 

生きていく価値もないような汚い世界だな、と今でも中2全開で引きずっているんだけれど、それでもそれは変えることができる。今でもうつ気味で不眠症で、授業の前は怖くて仕方がないし、終わったあとはああ言えばよかったこうすればよかったと後悔することばっかりで、この仕事向いてねえわと思うことのほうが多いけれど。でもそれでも。

教育を通して若い世代を育てていけば、その人がまた周りへと次へと伝えていってくれる。

それは僕だけが幸せになるよりも、はるかに素晴らしいことだ。

 

自分が頭が悪いなんて間違った思い込みにとらわれることがないように。

努力によって自分が成長できるという自信をもてるように。

そして他者の努力と想いを理解することができるように。

そしてそれをきちんと相手に伝えることができるように。

 

そのために僕はこの仕事をしている。

大学に受かることは副次的なものだ。

そうしたひとがたくさん増えて影響力をもって各々が発言して、世界が少しでもよくなるように、あなた自身とあなたの周囲が輝くように。

ずっと祈っている。