受験屋本舗さかた塾

2017年度尾道新規開校・東京大学現役合格講師による直接対面授業の難関大学専門塾

前向きなだけの言葉を前向きな姿勢で聞いて前向きに死ぬ。

 

サイレンと犀 (新鋭短歌シリーズ16)

サイレンと犀 (新鋭短歌シリーズ16)

 

 短歌集ブームが来てて、最近の現代歌人は勢いがあっていいですねと思っているのだけれど、岡野大嗣は中でもとりわけ好きな歌人です。『サイレンと犀』いいですよ。

 

僕は元来のネガティブ後ろ向き人間なので、あまりにも強いポジティブの光に照らされると、ゲル状に溶解してしまうのですが、世の中には結構前向きな言葉というのはあふれていて、そういうのに出会うたびにどろどろになってしまうゲル。がんばろう、努力しよう、なんていう中身のない前向きな言葉が好きじゃない。それがわかんないから悩むのにな。がんばりたい、でもがんばる方法がわからない、という人にがんばってないんだ!もっとがんばれ!というのはその人を追い込んでしまうようで。努力しよう、と思っても、どう努力すればいいのかわからない人を追い込んでしまうようで、だから前向きの言葉には、その人をより息ぐるしい隅っこへ追いやってしまうような感覚を持ってしまう。だったら後ろ向きの言葉の方がまだしも、その人にスペースを提供できていいじゃない、なんて思ってしまう。

お仕事上、後ろ向きなことばかりは言ってられないんだけれども、こうすれば、せめてなんとかなるかもしれない、ということなら言える。だから僕がよく言うのは、お金を稼ぐといいよ。そうすれば幸せになれるかもしれない。自由を選ぶといいよ。そうすれば幸せになれるかもしれない。知識をつけたらいいよ。そうすれば幸せになれるかもしれない。本を読むといいよ。そうすれば幸せになれるかもしれない。そうした積み重ねがいつか、幸せにつながるといい。

お題目のような前向きの言葉や安易な共感や同情が嫌いだ。

 

同種の話で僕は正しさが嫌いだ。

正しさを背景に話す人が嫌いだ。

正しさに心酔してしまっている人が嫌いだ。

日々日々正しさを振りかざし断罪をする人々がいる。

 

正しさというものが怖い。

とりわけ教える仕事なんてものをしていると、容易に正しさに取り込まれてしまう。教師という立場というものは正しさを求められるものですが、自分が教育職なので、ことさらそうですが、教師は聖人であるわけでもないし、聖人だから教師になるわけでもないし、教師になったら聖人になるわけでもないし、教師になるどこかの段階で聖別されているわけでもなく、それは他のどの職業でも同じことで、聖人もいれば悪人もいてそのグラデーションの中でそれぞれがそれぞれに、その人をどこに位置づけるのかを自分マターで引き受けるべきだと思いますが、翻って教師だから自分が偉いと思っている人もいるわけで、なんでそんなに強権発動できるんだ、と思うこともありつつ、ただ、教えることを職業としているだけですし、そこに偉さも何もないわけで、先達というだけで、そもそもよく考えたら人にものを教えることが好きな人ってちょっとやべえよな、と思いつつ、そもそもそういうマウントを取る傾向がある人が教職を選択する可能性もあるんだよな、と思ったら少し怖いな。もちろん人を助けたいという動機もあるだろうけれど、意識しようが意識しまいが、密閉された教室空間の中で自分が王様であることに慣れすぎてしまう怖さが教職にはあるなぁ、と思います。気づかないうちに自分がそうなっていないか。そしてまたそう考えることで他の教師を見下していないか。

あらゆる問題でそれは発生しうるもので、正しさを背景にすると人は驚くほどに傲慢に驚くほどに酔いしれることができる。

垂直の正邪じゃなくて水平の好悪で自分の問題として自分の責任として語れるようにしたい。 

なんてことをよく思うわけですが、twitterなんかをやっていると日々こんな正邪を旗に掲げて我こそは正義!と声高に叫んでいるわけですよ。絶対的な正しさなんてこの世に存在しないのに。

正義の棍棒を振り回すのは楽しいんでしょう。

だれかが用意してくれた正義の鉄槌で思考停止して殴り続けるのは楽しいんでしょう。

自分が正しい人間だと信じ、他人を悪しざまに罵り批判し批評し、自分だけが高みにいるような気持ちになれて楽しいんでしょう。

そこに知性があるのだろうか。

 お猿のマウンティングと同じじゃないですか。力ではなく、正義になっただけで。

僕たちはそんなことをするために宗教を捨てたわけではないじゃない。

神様を捨てて、不確かな科学を信じ、神様を捨ててありもしない正義を信じ、代わりに自分が神様になったかのように振る舞う。

 

人間の気持ちはゲル状で、流れていくものだと思います。

正義は個体で流れていかない。ただそこにあるだけ。

相手に向かっていく気持ちの奔流こそが愛情ではないですか。

正義ブロックを積み重ねて高い高いところに一人の王様と錯覚してふんぞりかえっているのが、楽しいですか。

 

楽しいんだろうね、と、そうしてストレスを発散していかないとやってけないんだよね、何を信じていいのかわからないんだよね、誰かに認めて欲しいんだよね、あなたが正しいと思って欲しいんだよね、と思ってしまうので、僕はまたゲル状になって、言葉を失う。

 

教える側の立場がなければ、だから僕は言いたいことなんか主張したいことなんか何もないので、日々本を読んでいたいと思うよ。優しい本を読んでいたいと思うよ。